先日の礼拝で、
御言葉を聞いて悟るとはただ素直に信じて受け入れることなのだそ
主なる神様に対して素直に「はい」と答えて従うことです。
御言葉自体に力がありますから、
ですから反対に、素直に「はい」と言えない時、
主なる神様の御言葉を聞いても「はい」
サタンは神様と人間が結ばれる邪魔をする者であり、
道端、石地、
一方良い土地に蒔かれた種にたとえられる状態では、
どんな実りなのでしょうか。それは霊の結ぶ実りとされ、ガラテヤの信徒への手紙5:22~23に記されています。
「22これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、
23柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」
自分の心の中に何があるのかを絶えず、
もしも、上にある霊の結ぶ実ではなく、
それらは従いなさいと仰る父なる神様が結ばせる実りではないからです。 神様は否は否、然りは然りのお方です。
「だから、あらゆる汚れやあふれる悪を素直に捨て去り、
ヤコブの手紙1:21
「19肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、
20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、
21ねたみ、泥酔、酒宴、
ガラテヤの信徒への手紙5:19~21
神様はイエス・キリストの贖いを通して、
心の中に戦うべきものがひしめく日は確かにあるのです。 普段から神様への感謝、
部屋の掃除にたとえるとします。掃除を怠る日が長いと、一人では片付けられなくなるかもしれません。また、病気などで片付けたくても出来なくなることもあります。それでも捨てるべきものを見失わないことと掃除をした場所に住みたいと願い続けることだと思います。誰かに手伝ってもらってでも片付けて、生きる場所を御言葉による霊の思いが溢れる場所にしていきたいし、他の人へもそのようにお手伝いできる人になりたいです。良い土地に蒔かれた御言葉が豊かに実を結ぶように互いに願い合い、互いに助け合いたいです。
主なる神様が忍耐して待っていてくださる恵みに感謝しつつ、他者とともにひとつでも多くの信仰の実を結ぶ者となりたいと思いました。
それは永遠の命に至る道です。