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聖書からの黙想などを書いていきたいと思います。

心の中の戦い・御言葉は魂を救う

先日の礼拝で、牧師先生を通してお聞きしたメッセージをもとに記してみたいと思います。 聖書箇所はマタイによる福音書の13章にある「『種を蒔く人』のたとえ」でした。メッセージを伺いましたが、そこには大事なことがたくさん凝縮されている気がしました。

御言葉を聞いて悟るとはただ素直に信じて受け入れることなのだそうです。

主なる神様に対して素直に「はい」と答えて従うことです。

御言葉自体に力がありますから、私たちの内側に入って行く御言葉がどんなに力あるものであるか時間と共に明らかになって行くことでしょう。
ですから反対に、素直に「はい」と言えない時、どんなに残念な結果に結び付くかも明らかになって行くのではないでしょうか。

主なる神様の御言葉を聞いても「はい」と言わず従うことがないならば、悪い者(サタン)が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取ると聖書に書かれています。

サタンは神様と人間が結ばれる邪魔をする者であり、神様が真理であるのに対して、サタンは偽りです。 神様と私たち人間が素晴らしい結び付き方をし、愛が築き上げられる一番良い場面をサタンは邪魔します。

道端、石地、茨の中に蒔かれた種のたとえは私たちの人生のどこかにいずれも起こってしまうことです。

一方良い土地に蒔かれた種にたとえられる状態では、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶと書かれています。

どんな実りなのでしょうか。それは霊の結ぶ実りとされ、ガラテヤの信徒への手紙5:22~23に記されています。

「22これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、

23柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」

自分の心の中に何があるのかを絶えず、そしてよく吟味して行くと、サタンの攻撃を退ける鍵が見つかるのだと思います。

もしも、上にある霊の結ぶ実ではなく、肉の業でありよくありがちな敵意、怒り、争い、ねたみ、不和、利己心などが自分の心に見つかるのならば、そこにNOと言い素直に捨て去ることが必要です。

それらは従いなさいと仰る父なる神様が結ばせる実りではないからです。 神様は否は否、然りは然りのお方です。

「だから、あらゆる汚れやあふれる悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。」

ヤコブの手紙1:21

「19肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、

20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、

21ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。 以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことは出来ません。

ガラテヤの信徒への手紙5:19~21

神様はイエス・キリストの贖いを通して、信じる者が御国を受け継ぐことを望んでいらっしゃいます。様々な思いに乱れ、混乱してしまっても、神様は御国を受け継ぐために従うべきことを仰られています。 破滅へ向かうように攻撃する者(サタン)が言うことを聞いてはなりません。

心の中に戦うべきものがひしめく日は確かにあるのです。 普段から神様への感謝、人への感謝をたくさん抱いて肉の思いから一刻も早く離れたいです。

部屋の掃除にたとえるとします。掃除を怠る日が長いと、一人では片付けられなくなるかもしれません。また、病気などで片付けたくても出来なくなることもあります。それでも捨てるべきものを見失わないことと掃除をした場所に住みたいと願い続けることだと思います。誰かに手伝ってもらってでも片付けて、生きる場所を御言葉による霊の思いが溢れる場所にしていきたいし、他の人へもそのようにお手伝いできる人になりたいです。良い土地に蒔かれた御言葉が豊かに実を結ぶように互いに願い合い、互いに助け合いたいです。

主なる神様が忍耐して待っていてくださる恵みに感謝しつつ、他者とともにひとつでも多くの信仰の実を結ぶ者となりたいと思いました。

それは永遠の命に至る道です。