先日の礼拝メッセージから感じたことを記したいと思います。
聖書箇所はルカによる福音書12:13~21「愚かな金持ち」のたとえについてでした。
しまい切れないほどの豊作を得て金持ちは喜ぶのですが、
彼は作物をしまう大きい倉を新しく建てて、全てを自分のものとしこれから先何年も生きて行くだけの蓄えができたから、
しかし、この金持ちは今夜のうちにこの世での命が尽きると言うのです。
用意したものは誰のものになるのかと主なる神は問いかけておられ
聖書が常に伝えるメッセージは自分中心に生きる虚しさと過ちです。それは偶像礼拝の過ちとされます。
偶像礼拝は主なる神以外のものと関係する意味でしばしば姦淫の罪にたとえられています。
選ばれた民は実際に偶像を作って礼拝したのですが、
肉なる自分中心の生き方とは神の霊に従う生き方と対極にある生き
神は愛(第一ヨハネ4:8)
聖書には滅びる生き方が痛烈に書いてあり、
神を忘れ、他者を忘れ、無視して生きること、神を捨て、人を見捨ててしまう生き方に向かう傾向性が見つかれば方向転換し
目に見える他者についてなら、
しかし、目に見えない神様を忘れるのは容易くて、
豊かな作物、食べ物や着る物等の全てを神様から頂いて生きています。
その作物、食べる物も食べる人がいなければ何にもならないし、
今日生きていて瀕死の重病でもなければ、
しかし、
この自分の命がこの世でいつ絶えるかを、
余計に得たとしても持ち物は無駄になります。こういった物への執着を捨てて、
この世での命を終えて塵となる以外に道はないのかと言ったら、
御子イエス・キリストを信じることで永遠に生きる命を神様は与えてくださいま
永遠に生きて父なる神様を拝していくのです。
この神様の御国である天国を求めて生きるように主なる神様は望ん
神様は天国を与えてくださるからです。
「小さな群れよ、恐れるな。
ルカによる福音書12:3
アダムとエバの罪以来人間の務めとされた生涯顔に汗を流して食べ物を得たり、苦しんで子供を産むこと(
これらは一時的なものとなります。
愛し合う兄弟姉妹と共に永遠に神様を拝して生きていくのです。
神を拝するとは神に感謝をささげることです。
神様は命を創造してくださり、そして、天からの恵みの雨、
そして、
イエス・キリストを通して、神の国である天国を与えてくださいました。
この神様を自分一人でではなく、
そのために豊かになることが見つかるでしょうし、朽ちてしまうものが何であるかも見分けられるようになるでし
朽ちることのない富を積むべき場所は塵の行着く場所ではなくて天
心をこの天国にいつも置くことで虚しい歩みを止めて行くことが可