yupaloma03‐blog

聖書からの黙想などを書いていきたいと思います。

み国をもたらす祈り・主の祈り

主の祈り

天にまします我らの父よ、
ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。
み国を来らせたまえ。
み心の天になるごとく
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を
我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救い出したまえ。
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。

主の祈りは朝目覚めたら一番に祈っています。

寝ている間も主なる神様はまどろむことなく、守ってくださったと思います。

朝息を自然に出来ていることが奇跡のように思えます。

しかし、朝一番のこの祈りに心がこもっているかというと、正直言いまして唱えているだけの時が殆どです。

今日牧師先生の礼拝メッセージのなかで、この主の祈りに関するお話がありました。

『我ら』とは、具体的に誰を指すのかという問題です。

『我ら』とは、教会内の人とか同胞とか家族や友人だけではなくて全人類を指しているのだということでした。

『我らの日用の糧を今日も与えたまえ。』と祈るにあたり、日本の国にいることで、食べることや飲むことが出来ない人に思いを馳せることが難しくなっているかもしれません。しかし、全人類のためだというのであれば、飢えに苦しむ人に祈らなければならないことに気づきます。もっと真剣に祈らなければ、と思います。

イエス・キリストが降誕し全人類の罪を購ってくださったように、この主の祈りも主なる神様が全人類のために与えてくださったのです。

我が身を省みても、人間である以上、他者をないがしろにしてしまうことが避けられないけれども、主なる神様は私たち人間に対し、誰をもないがしろになさらない憐れみ深いお方だと気づきます。

主なる神様がまどろむことなく、守ってくださるお方であること、

今日この朝に主の憐れみが注がれていること、

祈ることがゆるされていること、

誰かに祈られたこと、

ゆるしていただいたこと、

ゆるせたこと、

いただいたもの、

お借りしているもの、

たくさん感謝していきたいと思います。

毎日毎日全人類で祈りあわせていけば、おぐらきこの世にもみ国への道が開かれるかもしれません。

『実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。』という御言葉がありますが、((ルカ17:21)この神の国であるみ国をもたらすための秘義が、『主の祈り』に宿されているように思います。