主の祈り
天にまします我らの父よ、
ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。
み国を来らせたまえ。
み心の天になるごとく
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を
我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救い出したまえ。
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。
主の祈りは朝目覚めたら一番に祈っています。
寝ている間も主なる神様はまどろむことなく、
朝息を自然に出来ていることが奇跡のように思えます。
しかし、朝一番のこの祈りに心がこもっているかというと、
今日牧師先生の礼拝メッセージのなかで、
『我ら』とは、具体的に誰を指すのかという問題です。
『我ら』とは、
『我らの日用の糧を今日も与えたまえ。』と祈るにあたり、
イエス・キリストが降誕し全人類の罪を購ってくださったように、この主の祈りも主なる神様が全人類のために与えてくださったので
我が身を省みても、人間である以上、
主なる神様がまどろむことなく、守ってくださるお方であること、
今日この朝に主の憐れみが注がれていること、
祈ることがゆるされていること、
誰かに祈られたこと、
ゆるしていただいたこと、
ゆるせたこと、
いただいたもの、
お借りしているもの、
たくさん感謝していきたいと思います。
毎日毎日全人類で祈りあわせていけば、
『実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。』