yupaloma03‐blog

聖書からの黙想などを書いていきたいと思います。

ありがとうございます。明日へ向けてもう寝ます。

「2上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。
3あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内にに隠されているのです。
4あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。
5だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。
6これらのことのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下ります。
7あなたがたも、以前このようなことの中にいたときには、それに従って歩んでいました。
8今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。
9互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、
10造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。」
コロサイの信徒への手紙3章2~10節

あることに気が付きました。
「あ、私はもう死んでいたのだ」ということです。
もう死んでいたのなら、このような怒りや罵る言葉は死体と共に私から消えたのです。相手に殺されるのではなくてキリストによって既に死んでいたのです。キリストの十字架の死にあずかるとは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないという意味でした。肉の思いもろとも自らの罪を滅ぼすことでした。
このようなみ言葉に従うことは不可能だと思いました。しかし、自分が傷ついていて、可哀想だと思う事の次には、相手のやり方とではなくて、神様と対話したいと思いました。
短時間で支離滅裂に立ち直るのではなく、神様の摂理に従って立ち直ることを得ました。感謝いたします。
その先は神様の摂理が教えてくださると信じて短時間のうちにもう寝ます。明日へ向けて。
ありがとうございます。

 

 

(聖句引用: 日本聖書協会 新共同訳新約聖書より)