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聖書からの黙想などを書いていきたいと思います。

フィレオからアガペーへと向かう道筋

最近礼拝メッセージから感じたことを記してみたいと思います。

「15食事が終わると、イエ スはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか』と言われた。ペトロが『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です』と言うと、イエ スは、『わたしの小羊を飼いなさい』と言われた。16二度目にイエ スは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です』と言うと、イエ スは、『わたしの羊の世話をしなさい』と言われた。17三度目にイエ スは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロは、イエ スが三度目も『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった。そして言った。『主よ、あなたは何もかもご存知です。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。』イエ スは言われた。『わたしの羊を飼いなさい。』」

ヨハネによる福音書21:15~17

聖書には「愛する」という言葉がたくさん出て来ます。この「愛」にはいくつかの種類があり、よく耳にするのはエロス(性愛)かもしれません。他に聖書ならではの愛である「アガペー」が有名かと思います。神様の愛である神愛をアガペーと呼びます。また、友情などの愛は友愛でありフィレオと呼ぶのだそうです。イエス・キリストはペトロに三度私を愛するかと尋ねました。二回は私をアガペーするかと尋ねたのだそうです。これに対してペトロは二回とも私はフィレオしますと答えました。アガペーしますとは答えなかったのだそうです。ペトロはイエス・キリストが前もって仰られた通り、三度イエス・キリストを知らないと否定してしまった直後のことだったのです。自信満々で私はあなたをアガペーしますと答えることが出来なくなっていたと思われます。イエス・キリストは三度目にはペテロに私をフィレオするかと尋ねたのだそうです。もはや、私をアガペーするかと問われなくなったのです。

「愛には偽りがあってはなりません。」ローマの信徒への手紙12:9より

この時のペトロは自らの命を捨てて主イェスを愛せなかったのですから三回ともアガペーを口に出来ないのです。これがペトロの真実の姿でした。ペトロはイエス・キリストに嘘をついていません。だからペトロはイエス・キリストに友愛はささげているのです。もちろんイェス様がご自分へはアガペーを求めておられることを知っていますから非常に苦しんでいるのです。イエス・キリストはそんなペトロを不完全なまま受け入れてくださいました。謎に包まれた場面ですが、とてもあたたかいものを感じます。イエス・キリストは私たちの想像を超えた、目に見えない愛を持っておられるように感じます。この場面でペトロへ向けているイエス・キリストの持たれる愛が、アガペーというものなのではないでしょうか。

ここでイエス・キリストが仰られている意味は、私があなたを助けるから今は友愛でいいからささげなさい。立ち直ったら、兄弟を同様に助け励まし、アガペーの愛を求め、またアガペーの愛を伝えなさい。という意味だったのではないかと思います。

ルカによる福音書22:31~32には、このように書いてあります。

31「『シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。32しかし、わたしはあなたがたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。』」

これはペトロの離反を予告するなかでイエス・キリストが仰られた言葉です。こうしてイエス・キリストはお弟子さんたちのために執り成しておられるのだということに気が付きます。私たちが躓くことは避けられないと書いてあるのですが、その通りだと思います。逆境の時に背信の危険に陥ることもあるでしょう。しかし、神様はイエス・キリストという罪を取り除く子羊をメシアとして地上に送ってくださいました。イエス・キリストというお方は不完全な私たちに対する最大の執り成し手であられることに改めて気が付きます。最近は毎日のように、『イェス様、私たちの信仰がなくならないようにお祈りしていらしてください』と祈っています。そして、気付いたのはどんな時でも日常的にフィレオをどんな人にもささげる訓練は大事だという事です。フィレオは気に入った友にささげる愛かもしれません。そこが本質的にアガペーとは異にするところだと思います。そして、あらゆる友のために命を捨てたお方がイエス・キリストであり、フィレオが基礎となる場所にアガペーがあると感じるからです。サタンに隙を与えないためにも目に見える兄弟にフィレオをささげ、イエス・キリストの御姿へ、無償の愛、神の愛であるアガペーへと向かう道を歩みたいものです。

(聖句引用: 日本聖書協会  新共同訳新約聖書より)