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聖書からの黙想などを書いていきたいと思います。

邪悪な日に戦う相手と戦い方

「1人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。
2従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は、自分の身に裁きを招くでしょう」

ローマの信徒への手紙13:1~2

「9主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。彼らを脅すのはやめなさい。あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人がおられ、人を分け隔てなさらないのです。」

エフェソの信徒への手紙6:9

この世での身分を受け入れ、身分の低さを気にしないようになろうと思います。本当の主人は天にいらっしゃる神様です。
聖なる、義なる、愛なる神様です。だから私達は奴隷ではありません。
神様と関係の全く無い、罪の奴隷にならないようにしましょう。

権威者は時に残酷な仕打ちをしますが、悪魔の策略にはまらないように闘いましょう。人間であれば、間違いを犯しますが、権威者からの不条理な仕打ちは辛いものです。けれども、権威者にいたずらに逆らうことは罪の奴隷に自らの身分を貶める行為だと気付きます。

賢く歩むとはどういうことでしょうか。蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさいと聖書は教えています。(マタイによる福音書10:16)

 

「10最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
11悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
12わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
13だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。」
エフェソの信徒への手紙6:10~13


明らかに腹を立てるべき相手はその目に見えている相手ではありません。
目に見えている相手を敵とすることはエネルギーの無駄遣いになってしまいます。ただでさえ疲れ果てて、傷ついていたら、何が何だか分からなくなります。しかし、生きるためには戦わなくてはならないのです。

 

「14立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、
15平和の福音を告げる準備を履き物としなさい。
16なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。
17また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
18どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」
エフェソの信徒への手紙6:14~18

 

ここまで御言葉を読むと、怒りや苦しみを一時のものとして切り離すことができるのではないかと思います。

そして、立ち上がる力が与えられます。

御言葉は霊の剣なのです。

助け主である聖霊をいただきつつ、御言葉により、戦う相手と戦い方を覚えていきたいと思います。

 

(聖句引用: 日本聖書協会 新共同訳 新約聖書より)