「石」については、旧約聖書にも新約聖書にも、たくさんの記述が見られます。読むと力を感じるので、まずは片っ端から線を引いてきました。それで、今日から「石」について深く考えていきたいと思います。
まずは詩編118篇からです。
「22家を建てる者の退けた石が隅の親石となった。
23これは主の御業
わたしたちの目には驚くべきこと。」
(詩編118:22~23)
同様の聖句は新約聖書に何度もそのまま出てきますので、とても印象深いと思います。
次はイザヤ書の「シオンの隅の石」についての箇所です。
「14嘲る者らよ、主の言葉を聞け
エルサレムでこの民を治める者らよ。
15お前たちは言った。
『我々は死と契約を結び、陰府と協定している。
洪水がみなぎり溢れても、我々には及ばない。
我々は欺きを避け所とし、偽りを隠れ家とする。』
16それゆえ、主なる神はこう言われる。
『わたしは一つの石をシオンに据える。
これは試みを経た石
堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。
信ずる者は慌てることはない。
17わたしは正義を測り縄とし
恵みの業を分銅とする。
雹は欺きという避け所を滅ぼし水は隠れがを押し流す。
18お前たちが死と結んだ契約は取り消され
陰府と定めた協定は実行されない。
洪水がみなぎり、溢れるとき
お前たちはそれに踏みにじられる。』」
(イザヤ書28:14~18)
次はダニエル書を見ていきたいと思います。
「44『この王たちの時代に、天の神は一つの国を興されます。この国は永遠に滅びることなく、その主権は他の民の手に渡ることなく、すべての国を打ち滅ぼし、永遠に続きます。
45山から人手によらずに切り出された石が、鉄、青銅、陶土、銀、金を打つのをご覧になりましたが、それによって、偉大な神は引き続き起こることを王様にお知らせになったのです。この夢は確かであり、解釈もまちがいございません。』」
(ダニエル書2:44~45)
ネブカドネツァル王が見た夢をダニエルが解き明かしますが、夢に現れた巨大な像を石が打ち砕くとあります。ダニエル書では石が鉄、青銅、陶土、銀、金を打つとあります。
この石はメシアを象徴する石ではないかと感じました。口語訳聖書ではキリストは頭石(かしらいし)であるとされています。(新共同訳では親石となっていて新改訳では礎の石です)
天の神様が興される永遠に滅びることのない国と書かれています。ですので、キリストによる御国を指すと思います。主権がキリストにあればこそ、「主権は他の民の手に渡ることなく、すべての国を打ち滅ぼし、永遠に続きます。」となるのではないかと思います。
「山から人手によらず切り出された石が、鉄、青銅、陶土、銀、金を打つのをご覧になりましたが、」とありますが、
「人手によらず切り出された石」。これが重要だと思います。
人の手にはよらないで、神により立てられているということではないでしょうか。
そのことが、この石が完全であり、何よりも強いという奥義に結びつくように思うのです。
「25しかし、もしわたしのために石の祭壇を造るなら、切り石で築いてはならない。
のみを当てると、石が汚されるからである。
26あなたは、階段を用いて祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所があらわにならないためである。」
(出エジプト記20:25~26)
出エジプト記の上の聖句からも、人手によらない石とは全く汚れのない、完全な聖なる石ではないかと感じ、この石こそイエス・キリストではないかと思うのです。
「17イエ スは彼らを見つめて言われた。『それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。
「家を建てる者の捨てた石、
これが隅の親石となった。」
18その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、
その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。』」
(ルカによる福音書20:17-18)
ここには、はっきりと「その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」とあります。
ダニエル書と照らし合わせると、他のすべての国の支配は終わり、この石を表すと思えるキリストによって統治される最強にして永遠に続く御国が到来するという意味に思えてきます。
「11『この方こそ、
「あなたがた家を建てる者に捨てられたが
隅の親石となった石」です。
12ほかのだれによっても、救いは得られません。
わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。』」
(使徒言行録4:11~12)
「4この主のもとに来なさい。主は人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。
5あなた方自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。
そして、聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。
6聖書にこう書いてあるてあるからです。
『見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、
シオンに置く。
これを信じる者は、決して失望することはない。』
7従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、
『家を建てる者の捨てた石、
これが隅の親石となった』のであり、8また、
『つまずきの石、
妨げの岩』なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、
実は、そうなるように以前から定められているのです。」
(ペトロの手紙 一 2:4~8)
人手によらないということは、人はイエス・キリストを拒否したことを指し示すと感じました。
人はイエス・キリストを十字架に架け、王であることを否定しました。しかし、イエス・キリストは全く人が触れることも理解することもできない完璧で尊い、神が選んだ王です。
ダニエル書2:40に「40第四の国は鉄のように強い。鉄はすべてを打ち砕きますが、あらゆるものを破壊する鉄のように、この国は破壊を重ねます。」とありますが、この第四の国は人間の王による国です。ここにある強い人間の王は破壊は出来ますが、人の罪を赦し、救う力はありません。
神が選んだ王であるイエス・キリストには、破壊し尽くす絶対的権力ばかりでなく、信じる者の罪を赦し、汚れを清めて救う力があります。
イエス・キリストという石は神なので、人に切り出してもらう必要がなかったのです。人間が想像出来る世界とは次元が違っていたのです。
イエス・キリストによる御国は永遠に続き、信じる者は決して失望に終わることがないと書いてあります。
(聖句引用:日本聖書協会 新共同訳旧約聖書・新共同訳新約聖書より)