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聖書からの黙想などを書いていきたいと思います。

安息の土台

「『24そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。25雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。

26わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。27雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。』」

マタイによる福音書7:24~26

「10わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。11イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。」

コリントの信徒への手紙一3:10~11

「16あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。17神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。」

コリントの信徒への手紙一3:16~17

この聖書でいう家とはキリストの祈りの家の教会を指すのだそうです。また、信仰者ひとりひとりの体でもあるそうです。体には神の霊が住んでくださるというのです。自分の価値は神が定めてくださいます。人から定められるようにするのはやめたいと思います。人は限りがあります。突然、生きられなくなるような場面で欺かれるかもしれません。たくさんの友人に触れられる時が安泰だと感じてしまうと、そうでなくなった時に空虚感に襲われるかもしれません。また、何より自分自身が揺らいでしまうことがあります。神の霊である聖霊を人間がプレゼントできるでしょうか。神様にしかプレゼントできないのが聖霊です。こうして何かを書く時、どんな時も聖霊をくださいと主に祈って安息するようにしたいと思います。神の霊が自分に宿ってくださる感謝で満たして行けばよいのだと思います。安息のイメージを、聖霊により、平和の主イエス・キリストからいただこうと思います。それこそ父なる神の与える安息だと思います。悪い時にイエス・キリストという神の土台を土台としているか確認していきましょう。自分自身を含め、人間による土台を拒否していきましょう。自分の所有の在りかを確認しましょう。破壊するということを知ることで建てることを知ることもできるかもしれません。神の摂理ではイエス・キリスト以外の土台は据えられないように定められていたのです。希望を捨てずにイエス・キリストにより自分を買い取ってくださった神様に感謝して、神様のものとされている自覚を持ちたいと思います。そこを土台として初めて兄弟姉妹への感謝や愛が揺らがなくなれるのだと思います。

「19知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」

コリントの信徒への手紙一6:19~20

感謝します。

 

(聖句引用: 日本聖書協会 新共同訳新約聖書より)