yupaloma03‐blog

聖書からの黙想などを書いていきたいと思います。

内側と外側の考察

Behold Israelの投稿から

肉体を持ったまま御霊内住で生きる
けれどもその内側には安住せずに外側を選んで外側に住んで生きていく
御霊により選ぶ外側がキリストであると分かるようになるから
目に見えない世界の方が確かであると信じるから
自分の内側に神様を抱え込んだひとは尊大
へりくだるひとは自在であると誇ることなく
内側と外側を往き来し神様と人に仕える
キリストは外側におられるからキリストを知ることは尽きない喜び
己は神様が造られたゆえに外側に己が定められて在る
己を知る喜びも己の外側に希望として抱くことが許される
信仰により内なるものをキリストへと注ぎ出す 

「6 わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。
また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。」
コリントの信徒への手紙 一 8:6

「18 わたしは自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。」
ローマの信徒への手紙7:18

☆ 私達の存在する理由、意味、目的、
それらは私達自身の外側にのみ - 人となられた神であるイエス・キリストの中にのみ - 見出だされます。
- アミールツァルファティ ☆

「14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、
15 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうして、キリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、
16 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」
エフェソの信徒への手紙2:14~16