yupaloma03‐blog

聖書からの黙想などを書いていきたいと思います。

悲しいうた 

 

最近何かと泣きます。これは悲しいうたです。

私はこれを失敗して心身の不調、バランスが取り戻せずに今日も鬱です。

泣いていないで Abide with me 聴いて歌おうと思います。

『我らと共に留れ時夕に及びて日も早や暮れんとす』 路二四〇二九

YouTubeクリエイターサポートさん、本当にありがとうございます。

皆様どうかお元気で。

 

「Abide with me  (日暮れて四方は暗く)」

 

1 ひ くれて よもは くらく (日暮れて四方は暗く)

わが たまは いと さびし (わが霊はいと寂し)

よるべなき みの たよる (寄るべなき身の頼る)

主よ ともに やどりませ (主よ共に宿りませ)

 

2 いのちの くれ ちかづき (命の暮れ近づき)

よの いろか うつり ゆく (世の色香移りゆく)

とこしへに かはらざる (とこしえに変わらざる)

主よ ともに やどり ませ (主よ共に宿りませ)

 

3 よの やみぢ ものすごく (世の闇路ものすごく)

サタナの さそひ しげし (サタナの誘い繁し)

ときの まも さり まさで (時の間も去りまさで)

主よ ともに やどり ませ (主よ共に宿りませ)

 

4 しの ちから いづこぞや (死の力いずこぞや)

わが主 ともに いまさば (我が主共にいまさば)

われ かちて あまりあらん (我勝ちてあまりあらん)

主よ ともに やどりませ (主よ共に宿りませ)

 

5 とづる めに じふじかの (閉ずる目に十字架の)

かがやきを あふがしめ (輝きを仰がしめ)

さかえの ひを みる まで (栄えの日を見るまで)

主よ ともに やどり ませ (主よ共に宿りませ)

 

アーメン

 

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接種ノムコウ / HEAVENESE ヘヴニーズ - YouTube

see through

see through

 

 

わたしは人でなくて

自分を責めるの

なんて

言う内容信用出来ない

その実は人責めまくる

人責めまくる

怒り倒す

それは

止めるしかない

誰でも

 

あきらめた

その会話に

花が咲いている場所

あきらめた

 

あなたは居ないみたい

仕方ない

わたしはたった一行

どのようにずらしたら

詩のことばになるのかと

怒りながら書いている

同じことばを

ずらし続ける

全く関係のないお話を

書いている

 

知らない誰かが

どこかにいるのが

嬉しくて

怒っている

 

夜はこれから

水面の割り方

エナメル質の保護法

絨毯を叩く感触

 

明日また

あの縫いぐるみを

掴みたい

 

わたしには

それだけ

 

 

 

 

 

 

 

 

longing

longing

 

私はいつしか思い始めました

毎日批判を書いている相手の人が

あなたの大好きな人で大親友に違いないと

毎日毎晩熱く書けるのは神秘的

本当は普段ランチしていたりする大親友で

かりそめの文章が時折

夜空に綴られているのよ

天を見上げようにも

私の天井にはまず

害獣が挟まっているので

遥か遠くには

憧れる

お洒落な世界を

 

 

 

 

star

star

 

 

 

きっと私は

夜空にしるしを付けました

 

どうしても頑張れなくなった時

お星さまに会いに行きます

間違いのないように

祈ってから

 

ずいぶんだと思います

そんなに大事なら

何で毎日祈らないの

何でいい加減なの

 

こころに触れると

元気になってしまったから

安心してしまったから

 

あとは

虚しい言葉が消えてしまう

真空みたいになる

 

それはお星さまだから

私のいのちの中につながっている

いのちの

それは

お星さまだから

 

私は乏しくなりました

二度と

はしたなくならないようにと

 

夜空に付いた

しるし

 

 

 

 

burn

burn 

 

頑張った

燃えて

何かが尽きて

止まった

数ヵ月前から

屋根裏に

何か居ます

睡眠中金縛りになると

足を引っ張られたりします

対処法は

イエス・キリストの御名前によって

命じる出て行きなさいアーメン

うっかりすると

睡眠時間30分

損してしまう

いつも必ず

早く祈ろう

屋根裏で何かが走っています

また悪霊

取り敢えず金縛りでないし

いいわ別に

毎晩ガタガタごそごそ

うるさいから一回祈った

退散しない

忙しいしいいわ別に

良くない

そろそろ

間違えました

動物だわ

最近音がでかい

成長したみたいだ

毎日毎晩

屋根裏に何か居ます

糞発見

 

動物だわペットかもしれない

燃えているまだ何かが尽きずに

 

 

 

 

 

 

 

 

唯一の梯子

今年5月に短編小説「隣人」を書く際に、主の在す天と、地上について意識し、実際に上下を行き来するような運動感覚の中に暫く生きていました。そこで宿された「梯子」についての思いの一部を記してみます。

「3 彼らは、『れんがを作り、それをよく焼こう』と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。

4 彼らは、『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』と言った。

5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、

6 言われた。 『彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。

7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。』

8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。

9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。」

創世記 11:3‭-‬9 新共同訳

 

「10 ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。

11 とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。

12 すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。

13 見よ、主が傍らに立って言われた。

『 わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。

14 あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。

15 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。』

16 ヤコブは眠りから覚めて言った。

『まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。』

17 そして、恐れおののいて言った。

『ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。』

18 ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、

19 その場所をベテル(神の家)と名付けた。ちなみに、その町の名はかつてルズと呼ばれていた。」

創世記 28:10‭-‬19 新共同訳

 

「50 イエスは答えて言われた。『いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。』

51 更に言われた。『はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。』」

ヨハネによる福音書 1:50-51 新共同訳

 

人間は天に我が力を届かせようとして高い塔のある町を建てようとしました。謂わば天に届く梯子を地上から立てるのです。目的は神様にお会いするためではありませんでした。神様を無視して自分達が神のようになろうとしています。そういった計画は頓挫します。神様の御心に全く適わないからです。

天からの梯子が、天から地上へ向けて降ろされる(立てられる)ことが神様による摂理なのだと思います。

神様がおられる天と地上には、人間側からは決して届くことの出来ない距離と隔ての壁があります。

神様と人間との関係はアダムとイブの罪の結果、人間のそのままの姿、生まれながらの姿では壊れたままです。

神様の方から憐れみにより、和解の手立てが与えられました。それが神様と人間の仲保者であるイエス・キリストです。人間の原罪を贖ってくださるお方です。

この方が天から地上に向かって降ろされた(立てられた)梯子となりました。

ヤコブが見た夢では、梯子にはみ使いたち(被造物)が上ったり下りたりしていたとあります。

ヨハネによる福音書1章では、

『はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。』」とあり、イエス・キリストの上に神の天使たち(被造物)が昇り降りするとあります。

これらから、イエス・キリスト御自身が梯子であると考えることが出来ます。

人のかたちをされたイエス・キリストを梯子そのものに見立てることは信仰のジャンプであり、日常生活の様々な場面で、目に見えないキリストを常に見出だす訓練ともなります。

私達がイエス・キリストの御名前によって祈るのは、天に向かって梯子を立てるようなものです。それは神のようになろうとするのではなく、自らの無力を知り、自らを低くして神様にすがるためです。

そのような時、メシアと信じたイエス・キリストを梯子としています。これは唯一、神様の御前に立てることの許される梯子となります。イエス・キリストの御名前によって祈るならば決して一方通行の祈りにはならず、神様はイエス・キリストの御名前による祈りを叶えてくださいます。

イエス・キリストというお方によってしか天に向かっていくことはできません。

私達はここに御国ありと地上で栄えて天に届こうとするのではなく、天に向かって祈り、天に向かって生きていきます。御国が地上にはないことを知っているからです。

このイエス・キリストという梯子が天から地上に向かって降ろされる(立てられる)時が訪れます。イエス・キリストが戻って来られるのです。私達は自分で天に上がるのではなく、イエス・キリストによって天に挙げられます。

 

「1『心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。

2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。

3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。』」

ヨハネによる福音書14:1-4 新共同訳

再び創世記28:15を記します。

「15 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」

創世記28:15 新共同訳

 

「5 トマスが言った。『主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。』

6 イエスは言われた。『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』」

ヨハネによる福音書14:5-6 新共同訳

 

because

because

 

の人はやっぱり生きていた

祈りを叶えてくださった神様が

私をお忘れにならないこと

あの人はやっぱり帰ってこなかった

ただ帰りを待つ日々に

祈りながら歌っていたこと

あの人を思い出せたこと

何もかも行方を確かめて熱くなり

燃えさしのようになって

何もかも静まった夜半にガラスの器に

昼間分け合おうと作った氷菓子を注ぐ

氷を並べて

銀の匙でつついて

身体に入れてみる

気分が楽になる

身体が氷を悦んでいる

銀の匙とガラスの器と氷が遊ぶのを

視覚が悦んでいる

すべての行方は天に在る なぜなら

食べ終わって銀の匙を寝かせて

ガラスの器と

ほんの少しの残りの氷とを

水に浸けたら

あまりに美しくて清らかで

何も考えなくなった

何も確かめなくなった

その場所を後にして

何もかも消え行く行方

心に微かに残すもの それは

なぜなら