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聖書からの黙想などを書いていきたいと思います。

イエス・キリストが泣いておられたこと(1)

「37『エルサレムエルサレム預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。

38見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。

39言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。」

(マタイによる福音書23:37~39)

 「7『わたしはわたしの家を捨て

わたしの嗣業を見放し

わたしの愛するものを敵の手に渡した。』」

(エレミア書12:7) 

「5『しかし、もしこれらの言葉に聞き従わないならば、わたしは自らに誓って言うーと主は言われるー  この宮殿は必ず廃墟となる。』」

(エレミア書22:5)

「2『主はこう言われる。主の神殿の庭に立って語れ。ユダの町々から礼拝のために主の神殿に来るすべての者に向かって語るように、わたしが命じるこれらの言葉をすべて語れ。ひと言も減らしてはならない。

3彼らが聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの悪のゆえにくだそうと考えている災いを思い直す。

4彼らに向かって言え。主はこう言われる。もし、お前たちがわたしに聞き従わず、わたしが与えた律法に従って歩まず、

5倦むことなく、遣わしたわたしの僕である預言者たちの言葉に聞き従わないならばーお前たちは聞き従わなかったがー

6わたしはこの神殿をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の呪いの的とする。』

7祭司と預言者たちとすべての民は、エレミアが主の神殿でこれらの言葉を語るのを聞いた。

8エレミアが、民のすべての者に語るように主に命じられたことを語り終えると、祭司と預言者たちと民のすべては、彼を捕らえて言った。

『あなたは死刑に処せられねばならない。9なぜ、あなたは主の名によって預言し、「この神殿はシロのようになり、この都は荒れ果てて、住む者もなくなる」と言ったのか』と。

すべての民は主の神殿でエレミアのまわりに集まった。

10ユダの高官たちはこれらの言葉を聞き、王の宮殿から主の神殿に上って来て、主の神殿の新しい門の前で裁きの座に着いた。

11祭司と預言者たちは、高官たちと民のすべての者に向かって言った。

『この人の罪は死に当たります。彼はあなたがた自身が聞かれたように、この都に敵対する預言をしました。』

12エレミアは高官たちと民のすべての者に向かって言った。

『主がわたしを遣わされ、お前たちが聞いたすべての言葉をこの神殿とこの都に対して預言させられたのだ。

13今こそ、お前たちは自分の道と行いを正し、お前たちの神、主の声に聞き従わなければならない。

主はこのように告げられた災いを思い直されるかもしれない。』」

(エレミア書26:2~13)

「『エルサレムエルサレム預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
35見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、「主の名によって来られる方に、祝福があるように」と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。』」

(ルカによる福音書13:34~35)

「41エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエ スはその都のために泣いて、42言われた。

『もし、この日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・・・・。しかし、今は、それがお前には見えない。43やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、44お前とそこにいる子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。』」

ルカによる福音書19:41〜44)

イエス・キリストエルサレムを非難し、そしてイエス・キリストエルサレムのために泣いたとあります 。イエス・キリストは人のかたちで現された神ご自身でありますが、泣かれたとあります。主なる神様は反抗する民に災いを下すけれども、その主なる神様の御心が悲しみであるならば、イエス・キリストに倣うべき私達は、災いを浴びるどんな他者に対しても泣いて悲しむのが自然だと感じられます。神様はいきなり災いをくだされたのではなくて、何度も何度も災いから逃れなさいと示しておられた、また示しておられるのだと思います。

「23『わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち返って生きることを喜ばないだろうか。』」

(エゼキエル書18:23)

憐れみは裁きに打ち勝つとあり(ヤコブの手紙2:13)、悔い改めなければみな滅びるとあります。罪は死を意味するからです。取り残された人々に対して泣かずに自業自得だと内心思うことはとても危険な気がします。

主はひとりも滅びることなく、永遠の命を私達が得ることを望んでおられます。(マタイによる福音書18:14)

また、「8自分に罪がないと言うなら、自らを欺むいており、真理はわたしたちの内にありません。」(ヨハネの手紙一 1:8)と書いてあります。

イエス・キリストは再び地上にいらして御国を永遠に統治されます。キリストには人間と同じように武器で人を殺し破壊し尽くし、制圧して国を治める必要が無いと思います。神様なので一瞬にしてすべてを変える御力があります。キリストが完全に破壊し尽くすものは罪と死だと感じます。このキリストが憎んでいる的を適当に変えたりしない努力が必要となります。人間のこの人やこの国はけしからん、殺してしまえというやり方は今まで数限りなくありました。そしてそれらに完成はありませんでした。もしも永遠が時間だけを意味するもので、それらの完成だけを望むのならば、王はキリストでなくても良いと思います。不老不死の薬を飲んだ優秀な人間の武将かAIのようなものでもいいです。

永遠の概念にキリストが増し加えて与えてくださったものを考えます。永遠は死ではなく、命であるということです。死ではなく、命を選ぶということです。この世で死を選ばされる時にNOと言わなければなりませんが、それでも殺されることがあります。キリストがやがて解決してくださいます。このキリストを否定することが間違いなく死を選び取ることになります。(続きます)

 

 (聖句引用:日本聖書協会 新共同訳旧約聖書・新共同訳新約聖書より)

 (続きは下記の記事となります)

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