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聖書からの黙想などを書いていきたいと思います。

定められた摂理・呪いとなられたキリスト4

神は霊であり(人間が目に見えるようなかたちでの)身体がありませんが、
人間には霊だけではなく、身体を与えられました。

この世では人間はこの身体に縛られているために霊的部分が鈍くなり、
神を見たり感じたりすることがほぼ出来なくなっています。

それで神は身体にしか実感が出来ない人間のために、
イエス・キリストという身体にも痛みを感じる存在にご自分をかえられたことにより、
神が造られた命あるものへの慈愛と救いを説明されました。

命あるものの身体に必ず備えられた痛みをもって
知識教養のない者どころか虫にも当てはまる平等さで救いを人間に教えたのです。

イエス・キリストに私たちは呪いをかけてしまいました。
十字架に架けてしまいました。
十字架につけろ!と叫んだユダヤ人は私たちの姿であることを信徒は知っています。

罪を犯す度にがっかりしますが、身代わりとは本来こういうことだと知るようになります。
自分の力では赦すことすら出来ないし、
罪を犯すことも止められない、
不完全なままで、イエス・キリストの十字架に現された赦しを頂いたこと、頂き続けることを望みとして信じ、信徒となったからです。

再び私はイエス・キリストを十字架に架けてしまうのかというと、
永久に架けてしまうのです。
神がイエス・キリストによって救いを定めた摂理がそうなっているので、恐らくそうなるしかないのです。

続きます)

2014年9月28日 21:29:24 記