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聖書からの黙想などを書いていきたいと思います。

初めに、ことばがあった2

ところで、この尊敬する信仰の父祖アブラハムについて今日新たなお示しがありましたので、頑張って書いてみたいと思います。詩とかを書く状態にない私は携帯があり今日はまだ少し健康があるからやはりこういうことを書いてみたいと思います。

アブラハムは神から命じられて、生まれ故郷を離れて旅立ちます。神はその時同時にアブラハムに祝福の約束を与えられました。

その祝福の約束は、長旅に対する保証や保障のような、良い息子が自分に生まれるとかマンションが当たるとかといった自分への祝福の約束ではありませんでした。

自分の子孫が星の数のようになるという祝福の約束でした。

創世記の太古から私たちの生きる時代以降にまで及ぶ壮大な祝福の約束ですが

普通はこんな祝福は、「遠慮します」と逃げたくなります。

この約束を励みにあてのない長旅をしなければなりません。

この神の召命を受け入れた時アブラハムは75歳でした。

75歳・・・

アブラハムはどういう人生だったかというと、自分と現実的には関わりない見えない何かを伝える人生だったように思います。

まだ見えないもの、神の祝福を自分独りでというのではなくて、星の数ほどの人々と分かち合うことに賭けて生きた人物だったように思います。

それで私は自分が望むところが何もなくなって来たところで

なくなって来ただけに、まだかろうじて持っているものによって、

星の数ほどの人々と分かち合うことに賭けてなら、まだ何か今日はしてみようと思いました。

以降、あてもなく長々と書きます。

 

2014年9月28日 21:05:14 記

初めに、ことばがあった1

「初めに、ことばがあった。

ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」
ヨハネ福音書1章1-5節(新改訳)


天地創造の業について聖書に書かれたこのことばとは、キリスト教に於いてはイエス・キリストを指します。

ユダヤ教イスラム教、キリスト教に共通する父祖はアブラハムですが、

キリスト教に於いてこのアブラハムは信仰の偉大な父祖であります。

彼は見ないで信じます。

神の祝福と約束を見ないで信じ、そして受け取ります。

神がささげよと仰る通りに見ないでささげます。

私たちは信仰の父祖アブラハムと肉(体)に於いては異邦人であります。

 

私たちが異邦人でありながら何故アブラハムを偉大な父祖であると信じているかというと、私たちは神の選ばれた民であるユダヤ人と肉体では何の繋がりもないけれども、

イエス・キリストを自らの救い主と信じ、バプテスマを受領することにより、霊的にアブラハムの子孫とされているからであります。

バプテスマとは父なる(唯一神なる)神と(御子イエス・キリスト)子と(神の霊である)聖霊とによって授けられます。

このバプテスマ(洗礼)を受領するにあたって、私たちは今まで神を知らずに生きて来て犯した罪を告白し、悔い改めます。

そして、自分を造ってくださった父なる神ではなく、自分を神として自分中心に生きることを止めにします。

自分の人生を自分中心ではなく、神を中心に生きる生き方に変えることを神と公衆(人々)の前にて告白し、約束します。

このバプテスマ受領以降、私たち信徒には神の霊である聖霊が注がれるようになります。

聖霊が生ける神のことばを指し示す聖書の意味を教えてくださるようになり、イエス・キリスト唯一神なる神の具現化されたお方として神性を余すところなく伝え、神を常に共にいてくださる方として信じることが出来るようにしてくださいます。

続きます)

2014年9月28日 21:01:25 記

山崎ハコさんの「呪い」とキリスト からの考察「雨垂れ」

(ハコさんの「呪い」とキリストから考察、作成した詩)




「雨垂れ」




誰かを憎む真っ直ぐ釘をさす
直ぐ様気が付く
打ち付けた釘が自分をさす

奔りだす思いの先
自分と相手を天秤で量る
罪悪だと堰き止める
理由が褪せて行く
釘をさす

引き裂かれた身を
この世に繋ぎ止める釘
この釘に真っ直ぐ縋る
釘をさす

我が身が釘に痛むだけ
自分の血が流れるだけ
愛した相手の
身体の痛みすら見つからない
知っていながら釘をさす

相手の居ない場所
相手を憎む時間
行方不明の痛みを
探さずにいられる
氷のような自由
届けられない思いも
滲ませ揺るがせ
釘をさす

初めからどちらも
痛みを共有できない
愛した深さは身体の執着だと
夜明けの風が冷たく告げる

憎い痛い血を流させる
いつまで
釘をさせば我が身が痛い
雨垂れの止まない夜
一滴ごとに釘が打ち込まれる
終われない身体が
釘をさす

堪えられなくなった雨垂れの夜に
差し出されたキリストの手足の釘
向かい合い
キリストの手と足に釘をさす
キリストが差し出した手足に釘をさす

コンコンコンコン
差し出された手足に釘をさす
涙のぬくみが帯をつくる
コンコンコンコン
涙のぬくみでリズムを刻む

コンコンコンコン
キリストは向こう側を見せない
コンコンコンコン
差し出した手足に全てを繋いで

コンコンコンコン
キリストの手足に釘をさす
コンコンコンコン
無能な秤が消える

コンコンコンコン
身体に一滴ずつ刻む
コンコンコンコン
確かに同化を覚えて行く時間
この唄は自分の身体

コンコンコンコン
水滴が窓に寄り集まって来る
透明な水滴
コンコンコンコン
身体が命を思い出して行く時間

コンコンコンコン コン
差し出された手と足に
永遠に釘をさす
コンコンコンコン コン
醒めてこの唄を歌う









呪い / 山崎ハコ

 

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ギターは弾かない

歌は唄わない

言葉はあげない


目覚めると息をしている

風の荒々しさで

優しいそよ風を思い出す

灼熱を憂い

洪水を嘆き

太陽が昇る不思議に涙する

実りを呼ぶ雨を抱きしめる


重そうだけれど平たい言葉

平たそうで愛される言葉

口にしたら

傷つけることを知らない

心地よさに身を委ねたら

傷つくことを知らない


耳を塞いで意識を失い

初めて

遠い優しさを思い出す


烏が歩く姿

嵐の直前

増水に曝されてゆく川辺を

真っ直ぐに

ただ真っ直ぐに歩いている


心を動かしたら

初めは

口に出せるものを知らない


閉ざして初めて

開かれる世界がある


ギターは弾けない

歌は唄えない

言葉が出て来ない

気付いてから

 

 

2014年8月13日記

稲妻と水の柱

稲妻と水の柱




悔しがりんぼのうさぎ
雨の日稲妻の中に
飛び出して行った
走り回って原っぱで
迷子になった

雷が落ちる音
雨水に覆われた原っぱから
水の柱が立ち昇った

水の柱は水の鏡
うさぎの目を映した
自分の心を映さない
誰の心も映さない
うさぎの目を映した

うさぎは雨宿りが苦手
其処から動かず
水の鏡を見て考える
いつまでも

水の柱はまっすぐ
余所見を知らない
うさぎの目はまっすぐ

水の柱が留まる
雨水を溜め込んだ原っぱ
稲妻が走る
水の柱が留まる

雷鳴が
低く響く





2014年7月11日記

outside

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outside




産んでくれた
それだけで
それにすべてが
重ねられて
生きて歩いて
小さな思い出があればいつも
暴力中にも笑顔
恐怖に引きつりつつの笑顔
私の感情と感覚は元々
浮遊している
触ってくれるから暴発的笑顔
内に外に
存在場所を浮遊する
身体は限りを知るもの
弱い者に味方する力は自らの従順
不条理は拵えていることば
条理
従順
outside
笑顔
写真撮る度にありがとうの笑顔
泣きながらでも笑顔
あと何か要るか知らない
覚えられない
存在の垣根は高く
覚悟は地雷踏む程の高さ
垣根超えないのならば触れない
来ないのに触るのは幻









2014年7月4日記

アメリカブラジル台湾お友だちあああ?


おやすみなさい

哀しみのボカロイド

哀しみのボカロイド



世間の夜には
機械が優しく歌う
子守唄が漂っていた
ボカロイドの子守唄

彼は夜の淋しさに負けて
機械に恋い焦がれた

緻密に計算
緻密なコマンド
自分を満たしてくれる
機械
自分だけのボカロイド

もう決して
裏切られることがない
清らかで従順で
女に満たないボカロイド
コマンドに従うボカロイド

彼には或る日
欲望が生まれた
彼はプログラムを組んだ
緻密に徐々に
女へと成長させる
プログラムを組んだ
次々と
複雑な感情を求めた

絡める感情の発信源
唄歌いは女未満
求められて
子守唄が変わる
終わりへと向かう

ひとつ
またひとつ
ボカロイドが女になる
ボカロイドはボカロイドを失う

最後に彼が出した
誤ったコマンド
左手差し出し
透き通った声で
修理代頂戴

もうどこにも
発したコマンドを
受け入れる場所が無い

コマンドが入って行かない夜
哀しみに暮れる世の中
不自然な優しい子守唄が
消えてしまった夜

 

 

 

 

2014年6月12日記