yupaloma03‐blog

聖書からの黙想などを書いていきたいと思います。

幼子でも汚れの意識があります。

今日は少しつぶやきのように記します。

いつか満足に思考すら出来ない状態になり得ますから、早くイエス・キリストにより創造主に出会うのが幸せかと思いました。
また信仰は一時的に信じることが出来ても、維持することが難しいです。
維持、成長には思考が必要で、思考を組み立て続けるためには、繰り返し神様の言葉をいただくことが必要だと思います。
神様の言葉でないもので思考を組み立てたら危ないです。

幸福か不幸か、あまり考えたことがありませんが、神様の創造の業を見て非常に感動した時の喜びがありました。
小学一年の夏休みに伊豆へ行き、山々や滝壺を見て、人間の作ったものでない世界に触れて感動しました。
これが本当の世界なのだと思い、人混みの中で暮らしていたし、ストレスの多い子供(この辺は下部・生地獄参照)でしたので救われた喜びでいっぱいでした。
大自然に神様をはっきり見て望みとしたのですが、
その信心を維持出来ませんでした。
その体験からのち二、三年の間に、自分の汚れがあの大自然に決して相応しくないと気付きました。原罪意識のことです。
再び暗闇に陥り、こちらも本当の暗闇だから悲惨でして、
キリストによるあがないを理解出来るようになるまでが長かったです。

高校生になると授業が全く言語として認識出来なくなりました。
言語に聞こえていないのに学校には通っていて、家に帰ってから独学していました。
毎日寝る時間がなくて3時間だけ寝て、早朝読んでいた本があったのですが、大好きだった伯母に貰った本でした。
聖書の言葉が混ぜてあったのでキリスト教の本と間違えてしまいました。
あとで見たら生長の家の本でした。
そのように幼くて勘違いばかりしてたくさんの寄り道をしてしまいました。

私は汚れの意識がある幼子であり、神様が大好きだったのです。
よくは分からないけれども、生んでくださった神様を感じることと慕うことはごく普通のことに感じます。
ローマの信徒への手紙1:19~20に書いてありますように。

「19なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。
20神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被創物において知られていて、明らかに認められるからである。
したがって彼らには弁解の余地はない。」
(日本聖書協会 国際ギデオン協会 新約聖書 ローマ人への手紙1章19-20)


それから早くキリストと出会う必要があると思います。
イエス・キリストのことが聖書には在り、聖書だけで良いと知ることが難しかったです。
手引きとなる人が必要かもしれません。


それでは謎の生地獄について記します。

それは一歳代の頃から始まったことです。
遊び疲れた夕方が多かったと思います。
母親でも父親でもない何かが、私の一日の行いを審査するのです。
聖書の律法のような掟を私が守ったか守らなかったかと責め寄るのです。


沢山の鬱陶しい記憶は徐々に消えたので、一番古い記憶を書きます。一歳代のものです。
殆どの記憶が消えなければ書く気もしないと思います。
家に母子手帳なるものがあり、予防接種の場所と日時を照合してみて記憶が正確だった例について書いてみます。


私は母に連れられて、あつしくんという同い年の子とそのお母さんと、
いつも一緒に予防接種を受けに行きました。
受ける場所は保健所と○○病院のどちらかでした。
予防接種の日に母とあつしくんのお母さんが言いました。
「泣かなかったら、帰りにおもちゃを買ってあげるよ」と。
あつしくんは見事に泣かなかったのですが、私は泣いてしまいました。
私はすぐに「あっちゃんはおもちゃを買ってもらえるけれど私は買ってもらえないわ、大人しくしていよう」と思いました。
そうしておもちゃ屋に皆で入って行き、あつしくんはウルトラマンのフィギュアを買ってもらいました。
私は当然買ってもらえないと思っていましたが、母が買ってくれたのです。
私はショックを受けたけれど(それで何を買ってもらったか早々と忘れてしまいました)、普通に家に帰りついたと思います。
外出で刺激を受けて疲れていたと思うのですが、夕方ごろ何かに「お前は狡い子だ。泣いたくせにおもちゃを買ってもらったな!」と責め寄られました。
買ってくれた母は全く関係のない世界で明るく過ごしています。父は仕事で殆どいません。
家族でもないこれは誰なんだという感じです。
私は「私は本当に悪い子だった!どうしよう!」と大罪を犯したことに混乱していました。
この経験を何度も何度もしつこく思い返してしまい、心の平安は失せました(この類いのことが手を変え品を変え間断なくありましたので)。
悪い子だった記憶を何度も何度も繰り返し思い返すもので、赤ちゃん時代から気持ち悪いほど記憶がくっきりしていました。
イエス・キリストが違うと消し続けてくださったのか、脳が疲れたのか、その周辺記憶は今やすっかり薄れました。


上記の例は二歳に近い一歳のことです。
予防接種の帰り道で商店街を通るのはこの保健所のみでした。
母子手帳に記されている予防接種の種類と日時を見て絞っていくと、おもちゃ屋での出来事の記憶が正確だったことをあとで証明できました。


三歳位までは自己中でないとおかしいと言われますので、一歳代の赤ん坊が守れる訳もないし、守れなくていいです。
でも、あの責め寄る声の何かが来ると私は自分が悪い子だった!私はお母さんの言うことを聞かなかった!本当だ!と捕らわれてしまいました。
しつこくてやって来るタイミングも悪魔的でした。


でも、気付いたのですがこの欺く何かは間抜けです。
上記の例でも、「お母さんが約束を破っているのに、お母さんの言うことを聞かなかったって何?」。
悪魔的なものは神様のみ前では間が抜けていて、子供から見ても本物感は乏しく、ただひたすら煩く薄く論理が壊れていました。


こちらの方が問題だと思います。孤立させる、というやり口です。
母親は天真爛漫風ですし、打ち明けられませんでした。
うちは父方がクリスチャンの家系ですが、両親は当時ノンクリスチャンで、キリスト教の言葉は聞きません。
十分良い子だったそうで躾も厳しくありませんでした。
何より私自身が異次元の得体の知れない異常さにおののいていました。
あまりにも非現実的で、壁が破れて入ってくる違和感ははんぱでなく、誰に言っても無駄だと分かりました。
周りの人は普通の次元に居て、そんな異次元と行き来していないことがひしひしと分かるからです。
世の中から放り出されたみたいでした。


(補足:
父は亡くなるまで受洗しませんでしたが、私が物心つく頃から食事の前に「…アーメン」と祈っていました。
アーメン以外は声に出しませんでしたが後で聞くところによると、父自身が幼いころから食前の祈りがあったそうです。
最晩年、食卓で父は「『みのうことに感謝いたします。アーメン』」だったかな」と言っていました。
祈りの意味は分からなかったそうです。
それで私はよく神様に祈っていました。神様の霊力と違う霊力の狭間で神様を求めていました。)


小学一年生の夏、神様を大自然のなかに見つけた時は嬉しかったです。
これが本物で、あの子供部屋の責めは偽者と分かりました。
でもその何かの影響から抜けられずにいたのか、優しいと褒められても自分が見返りを求めて優しくしている偽善者だと責め立ててしまうようになっていきました。
9歳までにはそうなりました。
自分が存在するだけで汚れているという意識が全身全霊に充満し、いてもたってもいられなくなっていたのです。
確かにその通りなのです。
子供でも気付いたなら本当に神様のみ前では汚れています。
それが原罪意識と呼ぶものと後で知りました。
これは本当の暗闇だと思います。
悪いことを悔い改められるかどうかでなく、原罪をどうすることもできない苦しみでした。
私は歩くのが遅くてその頃は長距離を歩けなかったし、おもちゃを返しに行かれませんでした。
何年経ってでも返しに行ったらどうだ!と今でもそう言うのがありますがそれは悪魔です。
誰もが抱える返そうにも返しに行かれない現実を自覚し続けていることを原罪意識と呼ぶように感じます。
原罪を努力で取り返してやれ、神無しで。
これが破壊者の囁きだと思います。
知性の欠片もありません。
神様の御前に跪くためにある現実なのです。


どんなことになっても、なぜか神様を恨むことはしませんでした。
これが、神様の憐みが在り続けた証です。
その後知ったヨブ記のみ言葉もその通りだと教えてくれました。
どこかで成長が遅れたか止まったようですが、神様のみ守りがあったのだと思います。


汚れはアダムとエバにより現実のものとして幼子にもこびり付いています。神様との間にある壁を自分ではどうすることも出来ません。
欲しいものはただひとつ、神様との安心出来る関係でした。
いい子ではなくて、失敗したら神様にだめですよと躾けていただき、はいと素直に嬉しく神様にくっついていける子になれれば良かったのです。


かなりの時間を経て、イエス・キリスト大自然に見つけた神様と、その清い世界と相容れない汚れある私との仲介者であると知りました。
神様との間の隔ての壁を取り除く方がイエス・キリストです。
行いによらない神様との和解が成立しました。
私はイエス・キリストによって罪と汚れをあがなっていただけたお陰で、狭い部屋でも神様と触れ合えるようになれました。


私のイエス・キリストによる罪の赦しへの感謝が指し示すものは、一歳代から子供部屋で迫ってきた謂わば全人類が抱えている「お前は神と相容れない」という轟きからの解放でした。


この迫ってきた何かはおそらく良くない霊力によるものと思います。
私がその霊力の扉を開けないように非常に力を尽くす人生なのも受け入れないといけません。
たくさんの機会に何かと聖霊を求める祈りを繰り返してきましたのも、そのせいかもしれません。
疲れはてることも多いので、信者が一言私のことを祈ってくださるだけで何と力強いことでしょう。

追記
傷痍軍人さんの記憶
二歳位のことです。母に抱かれてダイヤモンド地下街を通る時、楽器を奏でている男の方を見ました。傷痍軍人さんです。早速声は言いました。「じろじろ見てはいけません!」それらのことに関心が薄い性質でしたから、抱いていた母は何も言いませんでした。私は誰にも言えずに、じろじろ見てしまった、見てしまったと何度も罪人であることを確認する人生でした。じろじろ見なければ良いことをしたのでしょうか。むしろ現実を見て何かをすれば良かったのでは。いつも感じるのは地下街の壁が工事中のように汚かったこと。どこもダイヤモンドでなかったこと。お金を得る苦しみ。囲んでいる人々。ヴァイオリン。苦しくて痛いのです。今も引き裂かれそうになります。戦争に反対します。祈ります。